● 2020年04月08日
往生

 往生とは、この世での命を終えた後、他の世界に往き生まれること。通常は極楽浄土又は他の浄土に生を受けることと。
 悟りを開いた仏が住む清浄な所を清浄国土、略して浄土といい、したがって浄土は仏の数だけあるのだとか。浄土の中でもっとも有名なのが阿弥陀様の極楽浄土。ほかには薬師如来の浄瑠璃浄土、お釈迦様の霊山浄土、観音様の補陀落(ふだらく)浄土などがあるそうです。仏教などに関する記述などからの抜粋です。
 ちなみに、この世を去ること命をおえること。そこから転じて、あきらめる、おとなしくなる、困り果てるなどの意味となって、その場になってもなかなか諦めがつかないことを、往生ぎわが悪いなどと使われるようになったのだそう。
 哲学者・教育者として著名な方が、自身の宗教観として一番しっくりするのは、「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」の一語であると。そして、色紙などに何か書くことを求められると、最晩年には「死を覚悟してこの一日を生きん」の一語を書いたのだそうです。凡人にとっては容易な心境ではありませんが、極楽浄土に往生したいと願うものです。

● 2020年03月09日
ある僧侶の方が紹介していた話

〈一部抜粋しております。〉
 まだ赤ん坊というほどの我が幼子の棺の中に、若い両親は自分たちの写真と観音さまの御影、そして手紙を書いて入れたのだそうです。「観音さまお願いです。この子はとても小さな子です。もしも途中で道に迷っておりましたら、どうかこの子の手をつないでやってください。お父さんとお母さんの写真を入れてあげるから怖がらずに行くんだよ。お父さんとお母さんと観音さまがついているからちっとも怖くないからね」と。
 そして、我が幼子の旅立ちに際し両親が観音さまに託した言葉が、「念々従心起、念々不離心」(念ずれば念ずるほど観音さまが心より起こり、念ずれば念ずるほど観音さまが心を離れない)という『延命十句観音経』の言葉でした。

● 2020年01月14日
「幸せのはひふへほ」 

 「この世に生を受けるもの多けれど、人間として生を受けるということはなかなか稀なることであります。そして、その生命には限りがあります。今日も日暮らしができていること、これほど有難いことはありません。」これは、お釈迦様の教えをある僧侶が分かりやすく紹介していたものです(意味が変わらない程度で読みやすいよう一部を書き換えていますのでご了承ください)。そして、その当時17歳の女子高校生が新聞に投稿した「幸せのはひふへほ」(出典は不明のようです)という記事を紹介しています。
 〜「幸せのはひふへほ」 は...半分でいい ひ...人並みでいい ふ...普通でいい へ...平凡でいい ほ...ほんの少しでいい  幸せって人それぞれです。私は「今生きている」それだけで幸せです。お父さんお母さん私を産んでくれて育ててくれてありがとう。〜
 この僧侶は、彼女は受け難き人身を授けてくれた両親に「私を産んでくれてありがとう」と感謝をしているのです。今ある生命を大切にして一日一日一所懸命生きることが大切です。と、結んでいます。
 新しい年を迎えました。まさしく、今日も日暮らしができていることに感謝ということでしょうか。


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